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Saai Dye Studioは、藍染めを主とする染色工房です。

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〒779-0115 徳島県板野郡板野町矢武字西川渕33

板野町と藍について

板野町について

 板野町は徳島県北部に位置し、人口はおよそ13,000人ほどの小さな町です。
 人参、レンコン、漬物用の野沢菜作りが盛んです。            

藍について

板野町には「藍染山」がありまが、古くから藍との関わりは深かったようです。

※阿波学会研究紀要 郷土研究発表会紀要第34号 板野町の織物・紺屋・養蚕・製糸・藍について より一部抜粋
板野町では、旧栄村・旧松坂村矢武・旧板西町大寺新田及び高木などが、藍作の中心地であった。
古く、縄文や古墳の時代から、大寺及びその周辺地域で、マメ科の藍が栽培され、利用されていた根拠がある。
大和朝時代から天智天皇の代になると、詔勅により藍が作られ、村上天皇の代には、全国から献上された藍の中で、阿波の藍が最優秀の折紙が つけられている。
その中でも、阿波・板野産のものが優秀であると賞された。鎌倉時代になると、中国から青藍が輸入されて藍作農家は疲弊した。
蜂須賀家政の入国で、藍作を興し、モデル地区として中久保で寛文4年に藍畑6町歩を栽培させている。
寛政12年には、藍方代官より組頭庄屋あてに藍作覚書(おぼえがき)を出して、藍作を奨励し、藍の播種から収穫までを指示し、管理した。
 −−中略ーー
天明2年、下ノ庄の犬伏久助は製藍の改良を行い、文政己丑8月8日82才で没した。
その子興兵衛、孫虎蔵に娘タケがあって、三平を養子に迎え、後を継がせた。犬伏家は現存している。
板野町は、昔、隣接している町は、徳島県藍園・藍畑、香川県引田・相生・小海などとの経済交流があり、隣接町村から収穫された葉藍を買入れて、製造して隣接町村の紺屋へ売却していた。
 −−中略ーー
天保2年になると、徳島域下から森六商店が出張って、大寺でスクモの製造工場を設立し、スクモを製造していたことが判明している。
明治から大正にかけて沈澱藍を製造していた家は、中久保・下ノ庄・矢武・西中畠で、7戸が上物(最高級品)の藍として精製し、県外へ送り出していた。主な送り先は、スクモ・藍玉・沈澱藍・葉藍・茎玉に仕上げて、播州・丹波・丹後・但馬・讃岐・大阪・東戸(江戸)などであっ た。

 以上のように、板野町は大昔から藍とのかかわりがあった町のようです。

     

犬伏久助


町内には「藍染庵」というほこらがあり、犬伏久助の像が祀られています。
上記の文書の中にもありますが、犬伏久助とは藍すくもを劇的に改良した人です