本文へスキップ

Saai Dye Studioは、藍染めを主とする染色工房です。

facebookページはこちら

〒779-0115 徳島県板野郡板野町矢武字西川渕33

板野町と藍について

板野町について

 板野町は徳島県北部に位置し、およそ13,000人ほどの小さな町です。
 近年は、子供に科学を体験してもらう大型公園のあすたむランドが人気です。
 これといって特別なことがある町ではありませんが、「田舎過ぎないところがちょうど良い田舎」という感じです。
 ただ、子育てするには非常に良いところだと思います。
     

藍について

 板野町では、旧栄村・旧松坂村矢武・旧板西町大寺新田及び高木などが、藍作の中心地であった。
 古く、縄文や古墳の時代から、大寺及びその周辺地域で、マメ科の藍が栽培され、利用されていた根拠がある。
 大和朝時代から天智天皇の代になると、詔勅により藍が作られ、村上天皇の代には、全国から献上された藍の中で、阿波の藍が最優秀の折紙が つけられている。
 その中でも、阿波・板野産のものが優秀であると賞された。鎌倉時代になると、中国から青藍が輸入されて藍作農家は疲弊した。
 蜂須賀家政の入国で、藍作を興し、モデル地区として中久保で寛文4年に藍畑6町歩を栽培させている。
 寛政12年には、藍方代官より組頭庄屋あてに藍作覚書(おぼえがき)を出して、藍作を奨励し、藍の播種から収穫までを指示し、管理した。
 −−中略ーー
 天明2年、下ノ庄の犬伏久助は製藍の改良を行い、文政己丑8月8日82才で没した。
 その子興兵衛、孫虎蔵に娘タケがあって、三平を養子に迎え、後を継がせた。犬伏家は現存している。
 板野町は、昔、隣接している町は、徳島県藍園・藍畑、香川県引田・相生・小海などとの経済交流があり、隣接町村から収穫された葉藍を買入 れて、製造して隣接町村の紺屋へ売却していた。
 −−中略ーー
 天保2年になると、徳島域下から森六商店が出張って、大寺でスクモの製造工場を設立し、スクモを製造していたことが判明している。
 明治から大正にかけて沈澱藍を製造していた家は、中久保・下ノ庄・矢武・西中畠で、7戸が上物(最高級品)の藍として精製し、県外へ送り 出していた。主な送り先は、スクモ・藍玉・沈澱藍・葉藍・茎玉に仕上げて、播州・丹波・丹後・但馬・讃岐・大阪・東戸(江戸)などであっ た。
              ※一部抜粋 阿波学会研究紀要 郷土研究発表会紀要第34号 板野町の織物・紺屋・養蚕・製糸・藍について 

 以上のように、板野町は大昔から藍とのかかわりがあった町です。

     

観光?


 町内には「藍染庵」というほこらがあり、犬伏久助の像が祀られています。